天才と言えど「才能定量」説
まずは「天才」の定義から。私が考える「天才」とは、一般の人には理解できないくらいの深度、広さを持った考え方ができるひとで、先天的か後天的かは問わない。
そして「才能」。今回の論に於いては限定的な意味で使います。例えば「作曲」に関する才能とは「自分の所属するバンドに提供する才能」というように、限られた条件に於いてのみ発揮できるもの、という考えかたです。
天才集団、ザ・ビートルズ。4人の才能は全て「ザ・ビートルズ」に向けて発揮されていました。ビートルズがビートルズであるために。
その中心はレノン=マッカートニーというソングライター・チームでした。今はこのチームの成り立ちはかなり明らかになってきており、レノン主導の作品、マッカートニー主導、そして2人で等分に協力しあって作ったもの、の3つのパターンがあった。
アルバム「フォーセール」あたりまではこの3種の作品にそれほど顕著な差はなかった。もちろんイニシアティブをとった者の個性がより強くは出ていたが、他者の個性が薄れるようなことはほとんどなかったと言って良いと思う。
あくまで私的な観点だが、ジョン・レノンの個性が極まったのはアルバム「ラバー・ソウル」であった。歌詞、メロディどれをとっても強烈な個性を放ち、なのに独善的なものに陥らず、ポピュラー・ミュージックであり続ける、そんな素晴らしい楽曲ばかりだ。
後日談を読むと、本人のなかでは順列に結構差があったようだが、客観的な評価は揺るぎのないものだった。
そしてここがジョンの曲の肝なのだが、イニシアティブは自分がとっても、他の3人の個性、特性はいかんなく発揮されていた。
例えば「イン・マイ・ライフ」。歌詞、メロディとも素晴らしく、ビートルズの曲のなかでも屈指の名曲だ。
加えて、ポールとジョージのコーラス。Aメロでまずはポールが加わり、ハミングからジョージが入り3声に。そしてサビ。
、、、これは誰のアイデアだったのだろうか、、、
1回目のコード進行は、F#m→D→G→A
2回目はF#m→B→Dm→A
ジョンのリード・ヴォーカルのラインは1、2回目とも変わらない。ポールのラインもだ。しかしジョージのラインだけ変化する。ほんの僅かだが変わる。これによって大きく曲全体のイメージが変わるのだ。
リンゴ・スターの素晴らしいドラムス(特にハイハットワークは素晴らしい)もあって、この曲には、ジョン・レノン+3人=ザ・ビートルズという等式が完全に成立している。そしてそれはジョンが自分の考えの及ぶところ以外は3人の自主性に任せていたからこそだと考えられる。
(ここまで述べたことはあくまで楽曲を構成している音楽の要素の割合であって、演奏や歌のそれではない)
ラバー・ソウルまではこの「原則」はジョン・レノンイニシアティブの楽曲に関してほとんど成り立っていた。
しかし、次のアルバム「リボルバー」で明らかに様子が変わった。
トゥモロー・ネヴァー・ノウズ。実験的で先進的、アヴァンギャルドな意欲作である。
しかしこれは先ほど述べた「イン・マイ・ライフ」とは明らかに「要素」の成り立ちが違う。ポールのベースはずっとC音を弾いている。これは「ワンコード」に拘ったジョンの意向であることは間違いない。ドラムスも最初から最後までひとつのパターンを続けている。催眠効果を狙ったようなこのドラミングもジョンの意向の反映が大きかったことは否めない事実だろう。ジョージに至っては、サウンド的には存在感さえ希薄である。
この楽曲の構成は、ジョン+自主性を持った3人ではない。事実だけ見ればジョンは3人に決して任せてはいない。
またまたあくまで私見であるが、ジョン・レノンがその才能をビートルズに向けていたのは「ラバー・ソウル」までだと考えている。
タイトルにした「才能定量」とは、才能が枯渇すると言いたいのではないのだ。
ジョンは「リボルバー」以降はその才能をビートルズには向けなくなった。向けられなくなったのだと思う。なぜか。
ひとつには、ポール・マッカートニーの才能の完全開花である。「リボルバー」以降は凄まじい勢いで名曲を量産し出した。音楽的なイニシアティブはジョンから完全にポールに移った。
ジョン・レノンの多才さはビートルズの枠に納まりにくくなっていったのではないか。著作に映画、そして「運命の出会い」。彼はビートルズに向ける才能を他に向けていった。
私は「リボルバー」以降のジョンは自作曲とイニシアティブをとるべき曲に関しては、自分の要素のみで埋めたくなっていったと考えている。自分の要素以外は3人に完全に委託しても構わない、というくらいの「才能」はもう出せなくなっていったのだと思う。
人間関係は決して一筋縄ではいかない。どんなに仲の良い、信頼しあった仲間とでもその求心力を保つべく出せる「才能」には限りがある、と私は考える。
ーーーこの項終わり。